ようこそ!!

お話をここに載せていこうと思います。




ノンフィクションだったり、完全なフィクションだったり。



更新は不定期になりますが、のんびり付き合ってください。



*リンクはフリーですので、海の果てだろうが、空の果てだろうが何処でも連れて行ってください。

夜風に想う

ちょうどこの時期になると、昔流行ったwinter songとともに思い出す記憶がある。今日、近くの定食屋に晩御飯を食べに行った帰りには、とても冷たい夜風が吹いていて、その冷たさに触発されてか、ふと思い出してしまった。

だから、長い話になるけど、今回はその思い出について君に話しておこうと思う。




****************************************
あれは9年前の話になる。

時刻は午前五時。成田空港の滑走路にはうっすらと雪が積もっていて、それは世界を真っ白く染めるには十分すぎるほどの降雪量だった。機内サービスでワイルドターキーをロックで頼んだ僕は、寝心地の悪いエコノミークラスだったにも関わらずぐっすり睡眠できていたので、冴えた頭で限りなく白銀に近い世界を眺めていた。オークランド国際空港はあんなにも夏だったのに、ほんの数時間で変化した景色にちょっとばかり大げさに地球の偉大さを感じつつ、カバンからジャンパーを取り出した。約半年振りの日本。あぁ、本当に僕の旅は終わったんだと思うと、その雪景色は格段に白く映った。

成田から渋谷に向かい、しばらく世話になる親戚の住む下北のアパートへ向かった。大学の休学期間はまだ2ヶ月ほど残っていたから東京でアルバイトをして、これからの生活費でも稼ごうかと帰国前から計画していたからだ。表向きはそういう理由だったけど、本当はまがりなりにも少しの間東京で生活してみたかったのが本音だった。

「東京なんて、ほとんど地方出身の人たちが集まっているだけだよ。」

なんて、優しく囁かれても、やっぱり僕には東京は大都会で、死にたいくらいに憧れる存在なのは間違いの無い事実。親戚と再会を祝しつつ居酒屋でしこたまお酒を飲んだ僕は、これから始まる東京ライフに甘い夢を抱きながらも、よだれを垂らしつつ熟睡するのであった。



早速次の日から、バイト探しを始めたのだが、都会には求人広告が溢れていて、何をするか選び放題なのが、逆に僕を悩ませた。日雇いバイトで、日給が1番良かったのが、インターネットプロバイダー企業のやっている加入キャンペーンだったので、そこに電話をし、雇ってもらえる事になった。業務内容は、街頭や店舗に派遣され、一ヶ月の無料お試し期間を売り文句にして、モデムを持って帰ってもらうというもの。ある意味ティッシュ配りに似ているけれど、渡すものがモデムなので、住所、氏名、電話番号を書いてもらう必要があり、1日のノルマは10個だったのだが、ハードルは高そうに思えた。


そして、実際、そのハードルは高かった。



1番最初に派遣されたのは、埼玉の大宮だった。
大宮の紀伊国屋の前にブースを構え、凍えそうな寒さの中、


「無料お試しはいかがですか?」

と大きな声をあげて、人を呼び込む。
多くの人が素通りをするのだけれど、中には「無料」という文句に誘われてやってくる人もいた。結局、「無料」だから聞こえは良いのだけれど、住所氏名を書くのが分かると殆どが断って去っていく。

夜七時を過ぎて、僕らのブースはノルマに届かず、契約は4件だった。
僕はというと、どんなに声を掛けても立ち止まらない人たちに、途中からヤケクソになって、


「みなさん、インフルエンザが流行していますので手洗いうがいは怠らないで下さ〜い!」

だとか、


「今日も1日お勤めご苦労様でした!」

だとか、適当なことを喋っていた。
流石に、チーフリーダーに怒られ、「契約とらないと上層部に報告してクビにするぞ!」と言われ、再び、夜の七時過ぎた頃から本気で働いていた。



その日はほんとに寒かった。そういえば、未だに僕は、あんなに寒い夜風をあの日以来経験した事がない。



そんな日だったからだろうか、流れ行く人々の反応までも冷たく、

それは、


「やっぱ東京って(埼玉だけど、田舎モノにしてみればあまり違いがない)、人間が冷たいんだなぁ……。」

と、哀しみを覚え始めた頃だった……。





ピンク色のコートを来た女性が、僕の呼びかけに立ち止まってくれた。


「住所氏名をこの用紙に書いてもらうんですけど、いいですか?」

「そっか、それならやめとこうかな……。」

いつものパターン。それは予測してたから、仕方ない。だけど、あまりにも困っていたので、つい、


「僕、今日契約取れてなくて、困っているんですよね、あはは。」

なんて、自虐的に笑い飛ばしてみた。
まぁ、明日から別のバイト探せばいいし、良い経験になったなぁ、なんて思っていた。内心、自分だけ契約が取れなくて、落ち込んではいたけれど。



「じゃぁ、困ってそうだから、その紙に書いてあげるよ。」


「エーッ!!!!」

驚いたリアクションが面白かったみたいで、笑われたけど、それは「東京の人は冷たい」と思っていた自分には意外すぎる一言で、夜風に曝されて、冷凍マグロみたいにカチカチになった体の中に何か温かいものがこみ上げてくるのを確かに感じる瞬間だった。

こうして、無事に?契約をとれて、僕はクビを免れたのだけれど、そんなことはどうでも良くて、彼女の親切に柄にも無く感動してしまい、時間が経つにつれ、帰りの埼京線の中で僕は高ぶる感情を抑えきれないでいた。


だから、悪い事だとは知っていたけれど、どうしてもお礼が言いたくて、契約書の中に書いてある彼女の携帯番号に電話をかけた。今でこそ個人情報保護法なんてあるけれど、「このお礼を言わなかったら、自分はダメな人間になってしまいそうだ!」と本気で思えて、それくらい、単純な自分は彼女の優しさに感動してしまっていた。

もちろん、彼女も最初は驚いて、怪訝な対応だったけれど、本気でお礼を言う僕に圧倒されてか、少しずつ気を許してくれた。


「あのさ、良ければメールアドレス教えてくれないかな?」

「メール!?何でですか?」

「君は面白いから、もっと仲良くなりたいなって思ったの。」


これにはまたも驚いてしまった。御礼の電話で終わらせるつもりが、そんなわけで、メールアドレスを伝え、丁寧に電話を切った。


「彼女には驚かされっぱなしだな。」

それからしばらく、僕達は仕事の合間のメールで、お互いの距離を縮めていくことになった。






僕はバイトを続けて、着々とお金を稼いでいた。業務は相変わらず上手くいかないんだけれど、それ以外のことが楽しくなってきて、別のバイトを探そうという気にならなかった。派遣先は日によって違って、秋葉原の電気屋だったり、白金の駅前だったり、千葉だったり、いろんな景色が日によって楽しめるのがとても気に入った。そして、バイト仲間も日替わりなんだけど、40過ぎて日雇いで生きているオッサンとか、役者志望のあんちゃんだとか、そんな人たちとの会話も、何か心の中に眠っている情熱に訴えられるものがあって、充実した日々を過ごす事が出来た。


そんな日々の合間に僕らはメールをしていた。

最初の出会いで抱いた印象のように、彼女はとても優しい人だった。いろんな他愛の無いメールのやりとりをしているうちに、少しずつ、でも確かに僕は彼女に好意を持つようになっていた。彼女は仕事にストレスを感じているときだったけれど、日々新しい発見をしている自分に触発されてか、少しずつ前向きな一歩を踏み出していた。彼女が前向きになれるきっかけになれて、僕は本当に嬉しかった。



「おい、田中、お前今日は桶川に行って来い。」

いつものように派遣担当スタッフに命令される。バイトの朝は東京駅ちかくにある貸しビルの一角のこの部屋から始まる。毎度の事だけれど、それがどこなのか、ましてやどんなルートで行けば良いのかまるっきし分からないので、事務所にある地図を広げて、桶川を探す……。都心をざっと眺めていても良く分からなかった。


「すいません、桶川ってどこっすか?」

「桶川はお前、埼玉だよ。」

「マジっすか!?」

「なんだ、文句でもあんのか?」

「いや、滅相も無いです。」


大宮以来の埼玉。その日は格段とテンションが上がった。

なにせ、


『今度埼玉に派遣された時は一緒にお食事しようね!』

って2,3日前にメールが来ていたもんだから、早速行きの電車の中でメールをすると、


『今日は埼玉に来そうな予感してたんだよ!!お洒落してて良かった〜(笑)じゃぁ、8時くらいに大宮のタリーズで待ち合わせようね。』

ってメールが来たからだ。


日中、派遣先の店長がヒネクレ者で、散々嫌味を言われたけれど、そんなことは気にもならない。「中学生じゃあるまいし」、ってクールなフリをしていても、待ち合わせの時間が近くなるとやけに緊張してきて、接客も上の空で、お客さんには悪い事したと今更ながら後悔。




バイトが終わり、一目散に大宮へ。
「街を飛び越える」って、きっと今のことを言うんだろうな〜、なんて思いながら、大宮の改札を抜け、足早にタリーズへ向かった。


そう、それはほんとに9年前の今日のことだった。







大宮の改札を抜け、待ち合わせのタリーズに向かう。
彼女と初めて出会った大宮は、なぜか懐かしい匂いがした。毎日毎日違うところに向かわされていたから、多分、二回目の場所は懐かしく感じるのだろうと思ったけれど、どうやらそれだけが原因ではなさそうに思えた。


彼女と再会するのはほんとに久しぶりの事だったから、僕はすっかり彼女の顔を忘れてしまっていた。1度しか会った事無いんだから仕方ないかな?なんて自分を正当化しつつ歩く。タリーズの看板が視界に入ると、心拍数は一気に上昇した。


めっちゃ緊張してるやん、俺……。


冷静な自分を無理に作り出して、柄にも無く緊張気味の自分を嘲笑してみる。そんなことしたって、緊張が解けるわけでもないのに。



タリーズに入って、店内を見渡す必要は無かった。
1番最初に目が合った人が、彼女だった。こんな時、人間の記憶ってすごいなと思う。思い出せないのに、会った瞬間に、この人だって確信を持てているんだから。


彼女もこっちに気が付いて、笑顔で手を振ってくれる。

焦る心を落ち着かせるように、ゆっくり彼女の待つテーブルに向かった。互いにお仕事ご苦労様でした!って挨拶をした後は、うまくお喋りできなくて、モジモジしていた気がする。メールではあんなに雄弁に喋っていたくせに、口下手な自分がもどかしい。バイトで出会った時はもうすっかり夜で、彼女の顔をしっかり見てなかったけれど(というか、優しさに感激しすぎて、他の事はどうでも良かった)、適度に照明の効いた店内で彼女の顔をゆっくり見ることができた。その顔が、とてもきれいで、そのことが余計僕を口下手にさせた。美人と話すのはどうしても緊張してしまう。


「何か食べてきた?このままここに居るのもなんだし、出ようか?」

「ううん、晩飯はまだ食べとらん。」

「何か食べたいものある?」

「そうやね、和食かな、うん、優しい感じの和食がいいな。」

「うん、分かった。じゃぁ、食べに行こう!あのね、私、残りのコーヒー飲めないから、飲んでくれないかな?」


そう言って、彼女は飲みかけのコーヒーカップをこちらに差し出した。あんまりにも自然な渡し方だったので、間接キスのいやらしさみたいなものを感じずに、僕はそれを飲み終えた。けれども、お店を出てから冷静になって考えると、変にドキドキしてしまって、またもや僕は口下手さに磨きをかけるのだった。


案内してくれたお店は和食の創作料理を出すところだった。僕はあら煮なんかを注文して、それを肴に焼酎を飲んだ。僕のバイトはスーツを着てやるバイトだったし、彼女はOLだから、多分周囲から見れば、サラリーマンのデートに見えるんだろうなと思って、それを彼女に伝えたら、


「そうかもね……。」

って素っ気無い答えが返ってきた。その素っ気無さがどこから来ているのか、この後僕は知る事になるのだけれど。


「いいよね、海外。私もいつか行ってみたいな。でも、私の場合は埼玉から出て暮らした事無いから、まずはそこからだね〜。」

彼女は生まれも育ちも埼玉で、短大を出た後に今の職場に就職して、働いて3年目になる。僕の2つ年上だ。海外から帰りたてホヤホヤの僕は、世界がどんなに素晴らしく、そして想像以上に広かったのかをよく彼女とのメールでやりとりしていた。


「私、いろんなことにくよくよ悩んでいたんだけれど、あなたを見ていると、『なんだ、私の世界ってこんなに狭いのか』って今まで抱えていた悩みがどうでも良くなるんだよね。私も、あなたみたいにおおきい人間になれたらいいのに……。」

「俺もまだまだ人間が小さいから、もっといろんなことを知っらなきゃいけないんだよね。あんたは俺にはない優しさがあるやろ?こんな都会で暮らしてて、人間のぬくもりを忘れていない人は簡単に見つからんと思うとよね。俺だって、ここで育っていたら、ろくでもない人間になってそうやもん。」


「優しくなんか無いよ、私は……。」


そう言うと、彼女は大きく溜め息をついた。僕はというと、焼酎パワーが効いてきて、少し緊張が解けてほろ酔い気分になり始めていた。


「ねぇ……、私の話……。聞いてもらってもいいかな?」


「いいよ、聞かせて。」

ってにっこり笑うと、少し肯いて、彼女はゆっくり話し始めた。焼酎の入ったロックグラスがカランと乾いた音をたてた。



しばらく、彼女はゆっくり言葉を選びながら喋り続けた。彼女が話し終えるまで僕は口を挟まず、目を閉じて彼女の声を聞いていた。


――あのね、私には付き合って5年近くになる人がいるの。その人は今、サラリーマンをやっているんだよね。それで、さっきのサラリーマンって聞いて、敏感に反応しちゃった。ごめんね。私、その人と別れたいと思っているの。ううん、最近の話じゃないの。ずっと、ずっと別れたいって思っていたの。彼はね、よく私を殴るの。心の狭い人でね、まるで子供で、自分の思い通りにならないと私に八つ当たりをするみたい。別れを切り出したことがあったんだけれど、その時にひどく殴られて、私は怖くなって、別れきれなかった。それから、トラウマになっちゃってね、「いっぱい、いっぱい殴られるから、別れるなんて言えない」って自分に言い聞かせて、今も付き合っているの。5年間私は何をしているんだろうって思うとほんとに嫌になるんだけれど、怖いの、本当に怖いの……。



彼女は話し終えると、声を殺して泣いた。
僕は、どうして彼女があんなにも優しいのか分かったような気がした。彼女が痛みを抱えているから、他の人の痛みには人一倍敏感なんだろう。皮肉な話だ。正直、その男が許せなかった。


しばらく泣き終えると、彼女はしだいに落ち着きを取り戻した。ロックグラスの氷は完全に溶け切っていた。


「ごめんね、こんな暗い話して。年をとると涙もろくなって困っちゃうね。さ、スッキリしたから、次はどんな話しようか?あ、そういえば、」

「別れなよ。」

「俺がいるから……、別れなよ。」

「ずっとそんな思いをして頑張ってたんだから、もう十分だよ。こんな胡散臭い野郎に出会ってさ、これも何かの縁だから、きっと、今が1番いいチャンスだから、俺は、あんたに幸せになってもらいたいとよ!」


もう、支離滅裂だった気がする。「あなたと付き合いたい」って気持ちと、「その苦しみから解放してあげたい」って気持ちが入り乱れてて、きっと、焼酎を飲みすぎたのが原因じゃなくて、支離滅裂だった気がする。


「あなたはほんとに私に勇気をくれるね、不思議な人。ありがとう。」


「出会ってひと月も経ってないのに、変かもしれないけど、俺は、あんたの事が好きだ。だから、ほんとに、あんたの力になりたいと。」



「……私も。ありがとうね。」




大宮の改札前まで、自然と僕らは手を握って歩いた。か弱い彼女の手にすこしでも安らぎを与えられるなら、僕はこの手をずっと繋いでいたいと思った。どこからか聞こえるwinter song、まるで僕らの曲だった。



改札で手を離して、サヨナラをして、僕らは別々のプラットホームへ向かった。


「早く行かないと、東京方面出ちゃうよ!!」

彼女に言われて、走って向かった。終電ではなかったけれど、最後の快速電車。見事なまでに、僕は乗り過ごしてしまった。次の電車まではあと20分近くあった。大きく深呼吸をして、息を整える。ふと、向かいのホームを見ると、彼女がベンチに腰をかけていた。僕は携帯を取り出した。


「僕だけど。」

「どうしたの?電車間に合った?」

「それが、今、君の目の前にいるんだけど。」

「えっ!?」

彼女がこちらに目を向けた。

「快速、乗り過ごしちゃった(笑)」


次の列車を待つ人たちが、徐々にホームに降りて来た。僕らは、その人たちの中で、線路を挟んだ目の前にいるお互いに向かって電話をしている。携帯なしでは聞こえない彼女の声が、耳元で聞こえてくる。傍からみれば、ホームで電話をしている1人の男と、1人の女の、ただそれだけの風景なんだけれど、実はその2人の電話は繋がっているなんて、誰も分かっちゃいないだろう。



偶然にも、お互いの電車は同時刻にホームに入ってきた。


僕らは電車に乗り込んで、反対側のドアの前に立った。窓を2つ挟んだその先には、優しい彼女の笑顔があって、耳元で聞こえる彼女の声と、彼女の唇が一緒に動いていた。手を伸ばせば簡単に触れられるのに、電車の扉はビクともしなかった。



――まもなく、3番線と4番線から電車が発車します。

発車のベルがホーム中に鳴り響いた。


「それじゃぁね。」

と切り出して、電話を切った。
鈍い車輪の振動を響かせて、別々の方向へ電車は進みはじめる。僕らは少しの間それに逆らって動いてみたけれど、あっという間に彼女の電車はテールランプだけを残して去っていった。


――あなたが来週には東京を出て行く人間だなんて、どうしても信じられないの、私。


最後の彼女の言葉が、鈍い車輪の振動とともにしばらく僕の心に響いた。









次の日僕はバイトを辞めるのと、バイト代を受け取りに事務所に向かった。約3週間働き続けたおかげで、大学に復学するにあたり必要となる引越し費用なんかは十分溜まっていた。あとは、大学に戻り復学届けを提出し、新居を決める期間が必要だった。実家が兼業でやっている農業の収穫期も重なっていたので、その手伝いをすることも考えると、悠長に居続けることは出来なかった。


バイトばかりで、ゆっくり東京を散策出来ずにいたので、この2日間はのんびりとした。芝居を見たり、美術館に行ったり、浅草に行ったり。街はバレンタインの雰囲気が漂っていて、自分には関係ないのに、楽しい気分になっていた。東京の大学に行ってたら、さぞかしモテモテだっただろうな、なんて、妄想したりもした。2日間ゆっくりして思ったことと言えば、やはり東京は僕の中の現実ではなくて、憧れに過ぎないということだった。それは、世界を旅していた時と同じ感覚で、どこかに物足りなさを感じてしまうものだった。多分それは、責任みたいなオモリがないからだろう。結局僕はストレンジャーで、せっかく出会う人とも翌日には別れ、その繰り返しの中で生きている。衝突もなければ、干渉もない。地に足をつけて暮らす土地にあるはずの感覚がない。そんな日々の物足りなさをこの東京にも感じ始めていた。



――あなたが来週には東京を出て行く人間だなんて、どうしても信じられないの、私。


ふと、彼女の言葉を思い出す。ごめんね、やっぱり、俺、東京の人間になれそうにないや。小さく呟いてみる。冷え切った夕空が薄暗かった。



『明後日、僕は東京を経つことにしました。もし、もう一度会えるのなら、会いたい。でも、無理なら、別れには今年一年で随分慣れたし、きっとまたいつかあえるだろうから、その時に笑って再会できるように、自分らしく、前を向いて生きていきます。出会えて良かった、ありがとう。』


こう送る事が、東京という非現実を生きる自分の礼儀なのだろうと思って、変にかしこまってメールを書いた。彼女の現実に現れた、非現実な自分は、これくらいの去り方が丁度いいんだ。


『明日、絶対会いに行くから!』

彼女から返ってきたメールは、とても力強いものだった。





金曜の夜、渋谷はとても混んでいた。


『今までは、埼玉が多かったから、今回はそっちに近いところにさせて。』

彼女の想いを汲んで、渋谷で待ち合わせたのだけれど、ハチ公前の人だかりはどうも苦手で、下を向き目を閉じて、喧騒に耳を澄ましていた。


「お待たせ!」

彼女がやってきた。初めて出会ったあの日と同じ淡いピンクのコートを羽織っている。薄く塗られた紅との組み合わせは、まるで春で、とても似合っていた。きっと、この人と過ごす春は、本当に素敵なんだろうなと思った。


近くにある少しお洒落な雰囲気のお店に僕らは入った。
ジントニックとカシスオレンジで乾杯をして、僕は東京最後の夜を彼女と2人で過ごせることに感謝した。


こんな夜に相応しい会話なんてあるのだろうか?
一体、何を話せば良いのか分からない。
ただ、伝えたい感謝の気持ちだとかはそこらじゅうに溢れているのに、それをどう表現したらいいのか分からなくて、しばらく僕は何も言えずにいた。


「今度会えたら、私の口から言おうと思ってたのね。」

「どうしたと?」

「私ね、やっと別れる事ができたの。あの日あなたに勇気付けられて、『今じゃないと、別れられなくなる!』と思えて、彼に言ったの。いろいろ揉めたけど、殴られずに、ちゃんと別れられた。最後に、『分かった』って言われた瞬間に、いろんな気持ちがいっぺんに軽くなって、大袈裟だけど、なんか、生まれ変われたような気がしたのよね。これからは、自分を大切にして生きたいと本当に思ったんだ。これも、あなたと出会えたから今こうして思えてるの。最初は胡散臭いモラル破りの電話からだったけど(笑)、あなたと出会えたことを私は絶対忘れないと思うよ。」

「ありがとう。俺も、あんたのことは忘れんと思う。」


「ううん、あなたは、私の事を、私より簡単に忘れると思うわ。だって、あなたは旅人だから……、今まで多くの人と出会って、その数だけ別れを経験したんでしょ?きっと、忙しい時間が経てば、私もその中の1つに埋もれてしまう。そう思うと、本当に悲しいの……。だから、」


「だから?」




「だから、これ、バレンタインプレゼント。」

そう言って、彼女はカバンの中から、上品にラッピングされたチョコレートを取り出した。


「あなたはいつか、私を数多くの出会いの一部にしてしまうかもしれない。だけど、毎年、2月14日が来るたびに、あなたはきっとこのチョコレートと、私のことを思い出すでしょ。その日だけでも、私を思い出してくれるなら、それで満足だからね。」




彼女の想いがとても切実で、純粋で、旅先での多くの出会いと別れに感覚を麻痺されていた自分にはとても響く言葉だった。現に、東京に旅先と同じ感覚を持っていたし、彼女のことも、傷付けず、キレイなままの思い出で忘れようと思っていた。東京は、俺にとっての現実じゃないから、ここで夢見たって何にもならないじゃないかと思っていたから……。

けれども、彼女は恐れず僕の心に手を触れてくれた。彼女の気持ちがとても嬉しくて、その気持ちに応えられずに東京を去る自分が悔しくて、僕は思わず泣いてしまった。






店を出ると、外は霧のような雨が降っていた。


『いつか、あなたの彼氏になって、デートできたら、昼下がりの公園を2人でのんびり散歩したいな。』

他愛の無いやりとりの最中の、そんなメールを思い出す。


「昼下がりじゃなくて、晴れてなくで残念だけど。」

と言って、彼女の手をとり、柔らかい雨に濡れる中、僕らは代々木公園へと向かった。代々木公園の照明は薄暗く、とても園内を散歩できる状態じゃなかったので、僕らは雨宿りついでにベンチに腰掛けた。


「あのメール覚えてくれていたんだ。ありがとう。」

「今の自分に出来る事は、これくらいしかないから……。ごめんね、もっとそばにいたいけれど、やっぱり、俺は自分の現実にもどらないといけないんだよ。」

「分かってる、あなたがあなたらしくいること。それが私のお願いだから、大学に戻って、もう一度自分の道を踏みしめられるなら、大宮から応援しているから。」

「本当に、優しい人やね。やっぱり、あんたと出会えて、本当に良かったよ。」


そう言った後は、僕らは自然と抱きしめあって、自然とキスをした。あまりの自然さに、僕はそれを今ここで描写できないし、きっと出来ないものだと信じている。

****************************************








その夜は、終電ギリギリまで一夜一緒に過ごすかどうか悩んでいたんだけれど、結局、


「今夜はずっと一緒にいたいけど、もっと長く好きでいて欲しいし、私もそうしたいから、帰る、ね。」


と言われて、お互い、帰路に就いた。そんときはショックを受けてて、帰りに乗った山手線で、前の乗客がゲロ吐いててみんなが空けてた席に座って、ケツが他人のゲロまみれになったという、苦いオマケまである、濃厚な夜だった。



今さらながら、あの時に彼女が帰ってくれたことで、9年もたった今も、素敵な思い出として僕の心にあり続けられることに感謝したい。僕は割り切ってセックスができない男だから、やってしまえば、どうしてもどこかに罪の意識が芽生えていたはずだ。




そんなこんなで、毎年この季節になると、ふと思い返すお話を君に伝えたわけだけど、それは、バレンタインなんてほとんど縁の無いこの土地にいても思い出してしまうことで、あんなに素敵なバレンタインの思い出は、もう2度とないのだろうとセンチメンタルに、9年経った、今もなお思ってしまう。


今、彼女がどんな成長をして、どんな素敵な相手を見つけたのか知らないけれど、きっと、彼女であれば、今頃笑顔で毎日過ごしているような気がしてならない。




そう、彼女の良く似合う、春色の空気を纏いながら。